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オンライン状態

宗教のこころ

2008年12月13日 (土)

やっと復活

長らく、お待たせしました。(誰も、待ってへんっちゅうねん…うぅっ、そうかいな)

諸般の事情により、電話回線の変更を余儀なくされたために、ネット接続が不調で、メカニズムに弱いわたくし、コリドラスひろ坊は、一ヵ月以上もカキコできませんでした。残念無念! さらに、思わぬメインマシーンのハードディスク破損により、メールソフトからも送信できまへんどした。ほんま、メカに弱いわぁ。

しかぁ~し、復活しました。「おめでとう!」 「ありがとう」 誰も言ってくれないので、自分で申しておりますねん。

しかし、(通称)教内は、誹謗中傷、疑い、不信、誤解が多いですなぁ。もう、いやになりました。あんまり、詳しいことは言えんけど、しかし、「壁に耳あり、障子に目あり」ですわ。間接的に、いろいろと聞こえてきますねん。「言いたいヤツは、いいさらせぇ~」 「ほっとけ、ほっとけ」と言いたくなるんですがね。だから、教団・教会長・教師不信になって、もう教内のおつきあいはできるだけ避けとこ…と思うたこともありました。もともとは自業自得やといえども、自分でこうなりたかったわけとちゃうねんでっせ。

わては、一筋に神さまと真剣に向き合って、信者さんとの仲立ちになって、ほんまに人を助けたいんやけど、いらぬことから先方にいろいろと誤解・考えすぎが多いので、もうや~めた!・・・てなわけはないけど…。

ほんまに素直にいじけ・ひがみ・ねたみのない人を大事にしよっと。せやけど、向こうさんがそんな悪しき気持ちを捨てて来てくれはったら、いつでも受けとめますがね。よその教会の先生方も、信用でけへん時があるなぁ。だけど、ほんまに困って真剣に御取次を頂きはったら、そら別やけどね。なんでも、誰でも、いつでも受け入れるのがわての信念やさかいに。

金光教も、立教150年を明年に向けて、本部関係者も頑張ったはる。それに答えるのが、一教会長、一教師の自覚やさかいになあ。教主・金光さまを頂ききるしかないのとちゃう?? それが、教師の基本やさかいになぁ。

目にみえるのも心、目に見えないのも心しだい。しっかり和賀心(やわらぎ喜ぶ心)になろっと。

ほな、また。バイバ~イ

2008年11月 8日 (土)

ややこしくなりやしたが…の巻

いやぁ~、ほんま、ご無沙汰しておりました。

実はやねえ、ケータイ電話との関連で、突然電話会社の変更を余儀なくされたんですわ。その回線がパソコンにつながっているとは?インターネットは別の回線やと思うてましてん。ところがや、しっかり同一の回線でおましてな。それがためにネット接続がでけへんようになりましてんわぁ。

もっと詳細に説明すれば、実はうちの教会の建物には、もともと電話回線が6つ繋がっておりましてな。建物内のホームテレホンやファックス、ある団体の専用電話、それに公衆電話。さらに防犯のための機械警備専用回線、さらにある機械の正常稼働確認のための24時間遠隔監視専用回線など、建物新築時代にはすべて絶対必要なものでやした。それが、時の流れで一つ減り、また用途が違うものながらも同一回線に合併したりして、今では4回線つながっています。

防犯警備のセキュリティ専用回線は、屋外でたとえ故意に断線されても、即時緊急に無線か携帯電話回線に変更されて繋がるようになっております。火災や不法侵入、建造物損壊時には、防犯カメラとともに犯罪から守られる。しかし実をいうと、その真の目的は、言い換えてみれば世の中に一人でも犯罪者をつくらせないということなんでおます。宗教は罪を犯さないよう教えますが、宗教施設としては罪を犯そうとする人を生み出させないことを目的としておりますねん。そこまで知ってる人は少ないですねんけどね。

そういうことで、やたらと電話回線が多い。それがどうもややこしくて、教会の代表者たるわてかて、どない繋がってるんやらようわからん始末でんねん。そしてついでに公衆電話も、携帯電話の爆発的普及により利用頻度が激減したため、廃止しようと思うて、いろいろ関係先と交渉してるんですわ。

そういう中で今回、一つの回線の電話会社を簡単に変更したわけですが、まさかその回線がパソコンに接続されているとは思わなんだ。別の回線やとばっかり思うてた。なんでやゆうて、モジュラージャックが一つだけ別回線の所におますねんからね。まっ、そこにパソコンデスクがあるからやろけど、そこへその回線をひいてもらったことなど、すっかり記憶におませんでした。

それで新しい電話会社の開通試験を行って、正常に繋がっていることが確認された瞬間、インターネットとの接続も断ち切られた、というわけでおました。なんとお粗末な話でんなぁ。

当初は、応急的にメインプロバイダも変更せずにダイアルアップ接続でしのいでおりましたが、現在はなんとかADSLにだけは復旧しました。

さてさて、これから回線を変更して、現在のメインプロバイダ(利用料金がお安jく、サービスもワタクシ的に好きでお得!)でなんとか…と考えております。まぁ、プロバイダの件は、サブでも使えるからいいんですが…。ただし設定や種々の契約がめんどくさ~い。めんどくさがり屋のわては、そんな時間があれば、結界師のお仕事がした~い。

そういうことで、ただ今、複数の電話会社、サーバ、ドメイン管理会社などとぼちぼち交渉中であります。ただし、悪いことは続くものでして、デスクトップのメインマシーン、そのハードディスクが破損してしまい、しばらく修理中。システムやデータの復旧は不可能に近いという状態でしてなぁ、ほんまに神さんのご試練、「お試し」っちゅうのはえらい厳しいもんだすな。

せやけど、わては投げ出せへんで!! ピンチはチャンスやさかい。なんとか、この難局を乗り越えて、災い転じて福となす…難はみかげ信心すれば人の身の上に無駄事はない、みな末のおかげになる…ということを実証しようと思うてますねん。

えぇ~っと、ひょっとしたらメールの送受信もうまくできていないようですので、たいへんご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご寛恕くださいませ。

せやねん、こういう時こそ、『ニコニコスタイル』でいかな、あかんねんもんなぁ!

2008年9月21日 (日)

踊ってる場合やない の巻

もう、あきまへん。物忘れがひどうなってしもうた・・・。歳ですやろか?

こないだも、大事な物をどこに置いたかわかりまへんねん。ショルダーバックにも入れてたから、財布を出した時に誤って落としたんかな?…とか思うて、立ち寄った先をあちこち歩き回って尋ねましたけど、結局出てきませんねん。いやぁ~、困った。ほいで、近くの交番に紛失届を出しましてんけどね。

ようなくすんですわぁ。物を…。それよりもっとひどいのが、どこに置いたのか忘れるという難儀な人間だす。うっかり置いてるんでっしゃろなぁ。せやけど、その時、絶対なんか別のことを考えてますねん。きっと!それで、物忘れがひどいっちゅうことですわ。

昔、井上陽水の歌で『♪探し物はなんですかぁ~ 見つけにくいものですかぁ~ 鞄の中も 机の中も 探したけれど見つからないのに まだまだ探す気ですかぁ~ ♯それより僕と踊りませんかぁ~ 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんかぁ~ ♭ウフッフ~』 というのがおましたけど、踊ってる場合やない。こっちはたいへんやねんからねぇ。

そこでや、頼りになるのが神さんだす。わい、物を置き忘れた時に、必ず「天地の親神さん、教祖さん、頼んます。私に見つけさせてください」と願いますねん。まさに「困った時の神だのみ」やね。

困った時、信心するものはお金や人を頼らず、まず神さんでっせ。その上で、人に頼んだり物をあてにしたりしたらええねん。もちろんお金も人も大事ですけど、先に神さんやね。ほしたら、不思議なことに、ちゃんと置いてある場所をひらめかしてくれはったり、そこへ自然と足を運ばしてくれはったりしますねん。けったいな現象やけど、ありがたいことでっせ!!

病気やいうても、金光教の教祖さまは、「祈れ、薬れ(薬)にすれば、おかげは早いが、薬れ(薬)祈れにするから、おかげはなし」ていうたはりますなぁ。つまり、神さんに祈ってから薬に頼るとおかげ(ご利益=病気の回復)は早いけど、先に医学、つまりお医者さんや薬に頼ってから祈るようでは、おかげはない、っちゅう意味でおます。大事なことでっせ、これって。

せやから、わての捜し物も、もうじっきに出てくると信じてます。信じるしか、おませんやろ~~~!

ほな、彼岸に入りました。みなさん、おたっしゃでぇ~~(^^)/~~~

2008年9月13日 (土)

親子関係とは の巻

えらいこっちゃ! またしばらくの間、ブログをカキコできまへんでした。

スマソ (-_-) この気まぐれさが、やっぱりサブタイトル「結界師のきまぐれなつぶやき」でんな。

まっ、それはともかく、15日は敬老の日でおますなぁ。わて、てて親はもう12年前に亡くなりましたけど、母親は81で健在でしてな、あるところに住んでて、経済的にはわてが面倒をみておるんですわ。最近、親と子の関係のことを考えさせられております。

わては姉と二人姉弟でして、義兄、つまり実姉の旦那がようしてくれはるんで、ついつい任せておりますけどね。振り返ってみれば、親と子っちゅう関係は、ありがたいもんですなぁ。ただし、お互いを尊重しつつ、お互いに大切にしあいして、その関係がうまくいくもんだす。

親は子どもを育てます。これは無条件ですな。せやさかい、時にはしつけのために親は子を叱(しか)ります。当たり前でんな。ほいで、子どもは育てられたおかげで今月今日があるんやさかい、親に尽くします。どこまでも、親孝行します。尽くされると、親は喜んで子どもを大事にしますんやね。

親が子を叱る、それに対して第三者が口出しするのはおかしいのとちゃいますか? 愛の鞭(むち)っちゅうこともおますやろ。親は子を信じてるけど、何度も何度も「大丈夫か?大丈夫か?」と念を押してたしなめる。これって、なんにもおかしいことやおませんで。

ほいで、親は子が尽くしに尽くしてくれて、ほんまの親の愛情をそそぐっちゅうもんやさかい、子は子らしく尽くして、はじめて親に喜ばれ、頼みも聞いてもらえるっちゅうもんや。

それをやねぇ、日頃は親をほったらかしにして、助けてほしい時だけ親やから…と頼る。それも、おかしいことやと思います。

「親やねんから」と、いくら子が言うても、日頃から親孝行して親に尽くして、立てて、心を配ってこそ、親は子として認めてくれるんとちゃいますやろか。

金光教の教祖さまは、「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな」という教えを残してはりますねん。これ、親子関係に置き換えたら、「親子の縁が切れたというが、親からは切らぬ。子どもから切るな」となります。わて、今年になって、親子関係の問題に直接ふれましてな、上記の親子関係の縁を切る、切らぬということを身にしみて感じたことがおました。親は、一時は怒っても、やっぱり親からはよう切りはりまへんなぁ。子はどうしようもなくても、とにかく神さんに関係修復を祈って、親のことを人一倍祈りぬいて、ほいでおかげを頂戴して、子からさえ切らんかったら、必ず親はいくつになっても子を慕ってきはりますなぁ。今年は、親子関係のええ勉強さしてもらいました。

いろいろと考えもって、やっぱり親が子を怒っても、子が親を怒ることが、どれほど道理ちがいかということもわかりました。

こういう親子関係がわからん人は、かわいそうでんな。なんぼ歳いってても、この親子関係さえ間違えなかったら、親は喜び、子は安心でっせ。

ほんなら、もういっぺん締めくくりに書きます。大事なことでっせ。へたしたら、親より子のほうが、最終的に大損しまっさかいにね。

「親子の縁が切れたというが、親は切らぬ。子から切るな」

ほなまた、画面上でお会いしまひょ(^_^)/~

2008年8月 3日 (日)

コリドラスひろ坊は結界師だすの巻

コリドラスひろ坊は、7月22日に静養先より教会へ帰ってきてから、今日はじめて、たいへん気持ちのよい朝を迎えましてん。すがすがしい目覚めでおました。(^_^)v

7月30日に退院以来はじめて通院しました時に、主治医から「いかがですか?調子は…?」と聞かれましてな。ほいでわては、ありのままに、「とにかく体がしんどいですねん。だるいっちゅうか、いつも横になってますし、しんどい時は動けませんねん。なんでですやろ?」と申しました。しかし、特に何の返事もなく「ちょっと薬をかえてみましょうかねぇ」とか言いはって、処方してくれはりました。もっとも、薬の効果が回復の道ではなく、生活環境と勤務状態をじっくり静養しながら、改善していくことが根本治療ですねんけどね。

ところがや、通院翌日の7月31日もだるくって、その夜は神殿の奥の部屋で寝ましてん。ほいで、次の日はいよいよ8月1日。いわゆる「おついたち」っちゅう大事な日やのに、朝5時過ぎにアラームで目を覚めまして、「よし、今日はおついたちや!」と気合いを入れたつもりが、気がついたらまた寝てしもうて、結局気がついたんが朝8時30分頃でしてんわぁ。ドヒャ~~!!

「キャー、えらいこっちゃ!」とあわてて着替えて開門し、お広前(参拝席)へ出ましてんけど、皆さんお帰りになったあとのまつりやった。結局、8月1日の午後も体がだるくて午後から寝てましてんわぁ。困ったことでした。<(_ _)>

なんでか、わからんねん。内臓がおかしいのか、頭がおかしいのか、暑さでバテてんのか、薬が体に合ってないんか、自分でもようわからん。その翌日の昨日、8月2日も、ある教会の若先生が来はりましてんけど、昼から横になったままやった。

それで、自分が処方されている薬をよくよく調べて、ドクターには申し訳ないねんけど、自分なりの服用法を考えて試してみました。そしたら、今朝はバッチリやんか。どないなってんねん…てな感じでした。

まぁ、体調・体力・気力・食生活・結界師の御用の時間帯・休憩・睡眠・薬・・・などなど、いろんな条件がそろったっちゅうわけですやろなぁ。しかし、8月1日は、えらい目に遭いました。

その点、今日は調子よかったねぇ。朝から祭典のお供え物を整え、午前中はご祭事を奉仕し、午後からは出社(でやしろ=小教会)の先生方と打ち合わせ会議をし、ご祭事の後片づけをして、久しぶりに散髪にいってきました。散髪おわって、「カッコエエ~~、さっぱりしたわ!」と、自分で言うてたらあかんねんけど、一応、髪型も決まりました。

ほいで、今日の調子の良さをいろいろ考えましてん。上記の条件もさることながら、昨日は久しぶりにある教会の若先生と話ししたと言いましたやろ。それも、大きな原因やと思ってますねん。なんせ、親戚(いとこ)やし、過去5年間うちへ来てくれてはって、わてのことやうちの教会のことを一番よう知ってくれてはる人やからねぇ。いろいろと、他人には言えない悩み事や調子の悪い近況などを話したら、ええアドバイスをしてくれましてん。

人間はなぁ、やっぱり心にため込んだらあかんねんはき出さな…。結界師の業いうても、ほとんど聞き役やし、テレビ見てても観て聞いての一方通行ですやろ。聞き役の内容も、あんまり明るいものはおまへんねん。悩みや苦労、難儀な話が多いんです。もちろん、それを神さんに一心不乱に祈り、神さんのおこころや教えをお伝えするのが、結界師の本業だす。せやから、それに不足を言うてたら、結界師は失格や。せやけど、たまには自分のこころにため込んだもの、こころの背中に背負うた荷物をはき出さな、やっぱりしんどいですで

それでや、愛読してくれてはる方々も、それをよう自覚して、わてにメールくれはったら、すぐに返信できへんでも、その内容を神さんに祈って、必ず返事しますよってにねそれが、このブログのひとつの値打ちですがな。トップページに、メール送信っちゅうところがおますやろ。そこへ、どしどし悩み事や苦しい胸の内をはき出してくださいな。それを、わては待ってますよって。!(^^)!

はじめに申しましたけど、コリドラスひろ坊という名前ですけど、「コリドラス」とは熱帯魚のなまずの一種で、水槽の底にいつもいて、ぺこぺこ頭を下げてほかの熱帯魚のエサの食べ残しや「フン」をあさって生きてますねんで。つまり他人(ひと)さまがもういらんっちゅう吐きだしたものや余計なもの、それで生きているんでおます。ひろ坊は、わての本名だす。わても、つねに平身低頭、謙虚に頭を下げつつ、しっかり人様の余計なもの、いらんもの、そんな悩みや苦しみを拾い集めて、解決への道に導き、助けたいと思うてます。(まっ、その前に自分がくたばったらあかんけどね

どしどし、このブログを利用してくらはいまし。それでないと、コリドラスひろ坊は生きていかれへんねんからね。お互い、無理して無理せず、焦って焦らず、頑張らずにガンバッテいきまひょ。おきばりやす。ほな、今日はこれで失礼いたしまっせぇ。(^^)/~~~

2008年8月 2日 (土)

わびさびの世界へのご招待の巻

このブログのトップベージのデザインを7月末、和風の竹林に変更しましてん。はじめ、このブログを作った当初は、あんまり詳しく調べず、自分である程度「いい感じ!」と思うただけで簡単にスタートしましてんけど、設定する内容を見ていたら、いろいろできまんねんなぁ。それで、デザインやプロフィールなどを追加したしだいです。

和風の竹林にした理由が、プロフィールにある「新都山流尺八 准師範」でんねん

そもそも都山流尺八は、中学の頃に習い始めました。「えらい、年寄りくさいことを習うたんもんやな?」とお思いでしょうけど、もともと私の叔父が若い時から習うてはりましてな、それでわてが笛(尺八)の穴をふさげるようになったら教えたげるっちゅうて、小さい時から言われてましてん。それで、習いはじめたっちゅうわけでんねん。

初めの頃は、音の出し方から指の使い方、「さくらさくら」「荒城の月」なんかを習い、そしていよいよ本曲になって、「黒髪」っちゅうのがスタートでしてん。それからおなじみの「千鳥の曲」とか、お正月にテレビや商店街のBGMで流れる、あの「春の海」などなど教えてもらいました。手ほどきを受けて、初伝から中伝、奥伝、皆伝(かいでん=よく世間でも免許皆伝とかいいますやろ…)となり、その後は楽理というて、古曲の音楽の理論の勉強もしました。「いちこつ」「たんぎん」・・・それに古曲専用の「ロ」「ツ」「レ」「チ」「ハ」「ヒ」「ピ」などの音階を現代曲の五線譜の音階に変換する理論とかね、一応勉強しましてん。ほいで、准師範の免状を取得しました。

よく尺八は「ツーツーレロレロツーレーロ」とか「ピーヒャララ」とか言われますけど、なんといっても尺八の音色は、「わびさび」の世界です

尺八の世界には、大きく分けて、「都山流」と「古琴流」の二つの流派がおますけど、「古琴流」は、どちらかといえば、時代劇に出てくるあの籠を頭からかぶって独特の衣装で歩きながら吹く「虚無僧(こむそう)」に近い流派でしてな、都山流は古曲も現代曲も幅広くこなすタイプなんですわ。わびさびの世界っちゅうのは、自分のこころを落ち着かせてくれる独特の深みのあるもんですわ。

中学から習いはじめ、途中で中学校の先生も教えてくれはったり、高校時代はもっぱら独学で、岡山県(現)浅口市金光町の金光教本部の裏手にある木綿崎山で夜に吹いてましたでぇ。それから大学時代も、近くに林がたくさんあったんで、それも独学で練習してました。准師範の免許を取得する時には、別のお師匠さんに楽理を教えてもらい、ついに準師範までたどりつきました。竹号は「誠宏」。師匠が「誠山」でっさかいにね。

ところがや、それからが全然すすまへん。練習も怠り、毎日のように吹いておらんと音も出にくうなるもんですわ。せやから、今では資格は「准師範」ですけど、まったくあきまへんねん。ちなにみわての師匠は、ねばり強く続けてはりますよって、ついに新都山流の最頂点である「竹淋軒・大師範」であられます。たいしたもんや。

ただ、今でも尺八の独特の音色は大好きですねん。琴と尺八を合わせた曲もええけど、尺八だけの曲、特に古曲はなんともいえまへんなぁ。最高でっせ!ほんま。

そのうち再開して、生涯の趣味の一つにしたいと思うてます。

それでですなぁ、プロフィールに掲載している「香道」「茶道」、いずれも『わびさび』の世界を求める道ですねん。その道を極めることが、やがて精神的に独特のものを得られる奥深~い世界でんねん。そういえば「合気道(正式には「合氣道」と書きます)も、気の世界ですしね。つまり体力・腕力などだけと違うて、気」を中心にして技を習得する武道ですねん。まぁ、この「香道」「茶道」「合氣道」についても、機会あればカキコさせてもらいますよって、お楽しみにネ。

今の世の中、多事多難、時代変化の早さ、人の生活も多様化し、仕事もどんどん新しい分野が登場して、とにかく精神力を整えておかんと、生きていくのもしんどくて、あかんようになる世間でっしゃろ。こういう時こそ、宗教の時代、そしてわて、コリドラスひろ坊はわびさびの時代やと思うてます。いずれ、なんでわてが「お香」を匂う(香道では、匂うことを「きく」といいます)ことになったのか、茶道を習うことになったんか、ご紹介しますね。

あぁ~あ、それにしても体がだるくて仕方がおまへん。そやからこそ、信仰と精神力で乗り越えるしかおまへんがな。ほな、みなさま、お達者でぇ~~(^_^)/~

2008年7月26日 (土)

「猛暑 酷暑といえども…」

暑さも真っ盛りでんなぁ。毎年、「猛暑」とか「酷暑とか申してますがねぇ、今年もこのようすやと、「猛烈に暑い夏」 「残酷なほど暑い夏」ということになりそうでおます。

ちなみに、今日は岐阜県の多治見市で39度を越えたらしいでんなぁ。人間の体温より熱いやんか。

みなさま、夏バテにご注意を!!・・・といいつつ、わても食欲がおませんねん。まぁ、炊事が苦手やということもおますけど、やっぱり暑いと「食べたい!」という気がおこりまへんなぁ。水分だけは、ぎょーさん頂戴してますけどねぇ。一日に3リットルくらいの水かお茶を飲んでますねん。

明日は、教会で〈七月の感謝祭〉がおます。せやさかいに、神さんにお供えさしてもらうお野菜とか果物なんかを自転車で買い物に行ってきました。その途中に、郵便局の地元の本局へ行ってきましてんけど、まぁ、なんちゅうか、頭のてっぺんからカンカン照りの太陽が照りつけて、「これって熱中症?」と思うほど疲れました。Tシャツも、汗でビショビショでしたわ、ほんま。

せやけど、暑さに文句は言いませんでぇ。ご時候に対しての愚痴や不満は禁物や、と九州で修行中に教えられましたよってにね。うちの亡くなった「てて親(父親)」も、真夏や真冬になったら、そのことをよう教えてはりました。てて親かて、九州の大分県は日田教会の初代教会長・堀尾保治先生のもとで修行しはりましたよってに、このことはしっかりと、繰り返し繰り返し信者さんに教えてはりました。

夏は熱いのが当たり前、冬は寒いのが当たり前やとね。そうでないと、田んぼや畑でものも育たんし、しかしワンコ(←ウンコじゃおまへん)は汗を自分でようかかんさかいに、暑い時には汗がわりに舌を出して「ハァ~ハァ~」いうてますがな。人間は、汗をかかせてもらえるから、その水分が蒸発する(気化)力によって、体温をさげてもらうわけやからね。

お互い、「猛暑」 「酷暑といいつつも、この暑さに感謝さしてもらいまひょ

さぁ、明日は午前中に感謝祭を奉仕して、体調がよければお昼から奈良の香芝で行われる金光教の【運動会&バーベキュー】にでも、気分転換に行ってみようかなぁ~と思っている土曜日の夕方でした。

あっ、せやせや。そんなのんきなこと、ゆうてられへん。明日の感謝祭で神さんにお供えする用意やらお掃除やらありました。

さっ、週末とはいえ、もうちょっと頑張りまっせぇ~~。ほな、みなさんもお達者で~。

2008年7月15日 (火)

神さんの領域ってあるねんで の巻

このところ、本来中心となるべき当方のホームページはあまり更新せず、もっぱらこちらのブログにカキコしているコリドラスひろ坊でおます。ホームページもなんとかせな、あかんねんけどなぁ。トップベージはもちろん、大幅なリニューアルをすることになっていた矢先、わて自身がダウンしてしもうて、結局そのままでんねん。ひょっとしたら、このブログも別のサイトに移行するかもしれませんし、ホームページの中にブログを入れるかもしれへん。せやさかい、その時はちゃんとお知らせします。まだ、確定はしてへんねんけど…。ホームページのリニューアルは、約束ずみなんで、ほぼ間違いなくしまっせ。

それにしても、人生とは、はかないもんですなぁ。運命とは、無常ですなぁ。

昨日、ある知人の奥さんが亡くなりはりました。その前々日の朝、高熱が出て、持病のぜんそく発作をおこしはって、そのまま心肺停止。あわてて家族が心臓マッサージしたり口から息を吹き込みはったんやけど、あかん。それで救急車を呼んで、救急救命処置をしてもらいはってんけど、それでもあかんかった。どうにもならず、そのまま病院のICU(集中治療室)に入りはった。強心剤の投与や、治療機器で延命処置をしはったんやけど、遂に昨日のお昼過ぎに旅立ちはりました。

ついさっき、お通夜が仏式で営まれ、参列会葬してきました。明日の告別式の時間帯は、静養先へ戻らなあかんかもしれへんのでね。お焼香させてもろうて、お顔を拝ましてもろうた。ほんまに、きれいな顔してはりました。今にも、目を開けて、むっくり起き上がってきはるような感じやった。商売してはって、お店で元気に明るい笑顔で接客してはった、その時のままやった。ただ違うのは、目をつむったままやということだけですわ。わてかて、他人事のようには思われへん。残念というか、くやしいというか、なんか嘘のような、今でも信じられへんねんけど。せやけど、事実は事実や。受けとめな、しゃあーない。人の人生っちゅうもんは、先はわからんもんやなぁと思いましたわ。

ただ、わてが心も落ち着いたことは、その人は精一杯、自分の寿命を生きぬきはったということ。ほいで、苦しむことなく、この世を去りはったこと。お顔を見てて、きっと悔いも残ったはれへんなぁ、と思いました。北海道から縁あって大阪へ来て嫁ぎ、子育て、商売で店のきりもり、孫のかわいさも知ってね。そら商売かて、えらい繁盛して、卸売り市場でのお店だけやなく、一流デパートへも出店して、それも旦那さんの力だけやない。奥さんも商売人で、商いも上手やったですわ。客を逃がせへん人で、店の前を通ったら、なんとなく立ち寄って、商品でも見ていこか、と思わせるもんをなんかもったはったよってにね。神徳とか人徳とかいうけど、この人は商徳のある人やったですわ。

お通夜の後に、旦那さんと棺の前で涙を流しおうて、手を握って泣きました。急死やったからね。お互い、夢見てるみたいな感じしました。なんぼその家の宗旨が仏教とはいえ、わては金光教の神さんに頼んで、みたまさんの助かりと、残りはった遺族のみなさんの立ち行きを祈るだけや。それしか、でけへん。せやけど、それが大事やと思うてます。

しかし今回も思ったことは、いくら医療が進歩しても、たとえ強力な薬剤や医療機器によって延命治療したとしても、必ず人生の終焉がやってくるということ。時々、「脳死状態やから、機械をはずしましょうか」とか、「植物人間でどうにもならんから、延命治療を断ち切りましょうか」とかドクターから言われて、結界師のわてに「どうしましょうか?」と、ご相談がありますねんけど、いつもわては言いますねん。

「脳死状態やの、延命治療がどうの、たとえこのまま植物人間やからとどうのこうの宣告されても、その高度医療で百歳でも二百歳でも生きられますか? ご本人が骨髄バンク、アイバンク、腎バンクなんかに登録して、ご本人が臓器移植を希望してはって、今の状態がそれに対応するんなら、その意志を尊重してあげたらええけど、そうでないのなら、生き続けるまで生かしてあげてくださいな。なんでやいうて、そら神さんが与えてくれはった命やし、今がどんな状態でも生きてはんねやったら、神さんのご支配・ご配慮くださる寿命いっぱいまで、そのままにしてあげてほしい。それであかんかったら、それが寿命やさかいに…」と言いますねん。看護・介護・費用・病院の都合もあるやろから、強制はしませんけど、できるだけそのように言うてます。神さんの領域に、人間が介入することは、避けたいと思う。

死刑かて、単なる見せしめなら、やめたほうがええ。ただ、日本には終身刑がないよって、今の憲法ではどうしようもないけどね。終身刑を認めてほしいと思うてます。

かつて、大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件で、じきに死刑判決が出て、えらい早うに執行されはった故Tさまのように、自ら早く死刑をと望んではったら別やけど、裁判かて人間がさばくもんや。間違いもあるかもしれへん。えん罪もありうる。被害者は弁護に一生懸命やし、検察は厳しい処罰ばかり求める。それで結局、人間が人間の命を奪い取ることは、どうもおかしいんとちゃうかと思うてます。そら被害者や家族、その関係者の気持ちもわかります。わてかて、死刑廃止論者てな、大袈裟なもんではおませんけど、どうも近年、いろいろなところで、神さんの領域に人間が立ち入っていることが多くなってきてるように思いますねん

まぁ、人生論、運命論、死生観、哲学的論点、宗教的視点・・・いろいろ難しいところがおますけど、わて自身は、こんな風に思てます。

そういうことで、話が長うなりましたが、わてかて明日の命の保障はおまへん。どなたさまかて、同じでっせ。今晩、布団の上で眠っても、明日の朝、目が覚めるかどうか、それもわかれへん。せやから、今月今日、今の今を大切にせな、あかんねん。

わては、投げやりっちゅう意味やのうて、いつ死んでもかまへんと、いつも思うてますし、死ぬこともなんら怖いことはおまへん。なんべんも死にかけたし、いろんなことに追い込まれて、呆然自失、お先真っ暗、孤独感、厭世感、そしてついに極度のうつ状態で自殺未遂もした。けど、死なれへんかった。考えたら、これこそ、えらい神さんにご無礼したと猛省してます。神さんの領域に、自分自身がはまってしもうたんやから…なんぼ心神喪失状態やったとはいえね。人間って、弱いもんやと思うた。神さんを、信心を忘れてしもうてた。あの時のことかて、ええ経験したと思うし、自殺願望の人の気持ちも今はわかるし、それがどれほど間違ったことかということもわかった。神さんは、無駄事はしはりませんわ。

さぁ、もし明日かて生きてたら、神さん中心にしてやなぁ、自分も見失うことなくにな。

自分が助かったら、神さんも安心しはるんやし、人間がおるから、神さんもおかげをくれはる対象がある。自分が難儀したら、神さんの嘆きや。ほんで、神さんに喜んでもらおうと努力するから、神さんも助かりはる。それを金光教では、神と人、「あいよかけよ」っちゅう関係やと言いますねんで。みたまさんと自分かて同じ。あらゆる者・物かて同じことでおます。

だんだん暑さも厳しくなりますけど、お互い頑張りましょうや!!わてと、このブログを読んでくれてはるあなたさまとも、「あいよかけよ」やねん。

さぁ、7月も後半に入りました。しっかり神さんのおかげ、もらいましょ!ほなまた。

2008年7月12日 (土)

得るものを大切になぁ の巻

得るもの… 失うもの… いろいろおます。

得るものっちゅうのは、お金、仕事、家族、友だち、土地や建物・・・。つまり、あらゆる物、物質的な物・者ですな。それと忘れてはならないのは、形のないものですわ。健康、信用とか信頼、家族の絆、友情、地位や名誉、そして信仰・・・。これらは、もってうまれたものもあれば、その人の生き方によって得られるものもあります。

それから、一番大事なんが、命や。これを忘れたらあかんねん。これだけは、自分で得ようとしても得られるもんでもないし、自殺せんかぎり、いつまでも続くものとちゃう。必ず失う時がくる。

わて、コリドラスひろ坊は、最近「あらゆるものを失う病気」について、考えさせられましたわ。得るもの、失うもの、そういうことにはじめてに気づきました。

療養先では、その病気について、いろんな会話をよく耳にしますねん。家族を失ったとか、離婚して妻を失った、主人を失った、子どもとの絆を失った、健康を失った、財産を失った、友人を失った、社会的信用を失った・・・・・・・・・。さらに、命を失いかけたもんの、かろうじて残っているとはいえ、寿命は縮めたとかね。実際、同様の病気で若くして命を失った人の話も聞きました。突然死っちゅうやつなねぇ。

そういうことを考えると、神さんから得たものは、大事にせんとあかんなぁ~と思います。お金や物より、目に見えへんもんのほうが、よっぽど大切なんやから…。ほいでもって、形あるものは、今の世を去ったとたんに消えてしまいます。つまり、先の世へはもっていかれへんねん。しかし形のないものは、永遠に残る!

金光教の教祖さまは、「先の世までももっていかれ、子孫までも残るものは、徳だけである。徳は、信心すれば、誰でも神さまから受けられる」と、おっしゃっております。

2008年6月 9日 (月)

自分を見て よく知ることの巻

不足を言うんやないけど、ここのところ梅雨になってから、なんとなく雨が降りそうな、せやけど晴れそうな、けったいなお天気ですなぁ。なんかジメジメしててねぇ。ほんま、気分もすっきりしませんわぁ。 (-_-;)

夜かて、クーラー入れたり扇風機つけるほどやないし、せやけどなんか湿っぽい感じがして、それでのうても不眠症ぎみやのに、よけいに寝苦しい感じがしますねん。えっ?布団を虫干ししてないからやって?? それも、おます。すんません。めんどくさがりややさかいに…。昔は、もっと「まめ」やってんけど、若干うつ症がでるようになってからは、なんというか、気力が出ませんねん。あかんわぁ。

しかし快眠ということは、ありがたいことですでぇ。若い頃は、夜になったら勝手に眠とうなって、自然に寝てたんやけど、なんでか近年はあきまへん。寝よう寝ようと思うても、よけいに寝られへん。いっそ、起きといたろか…と思うんやけど、起きてたら次の日、メッチャしんどいしね。 (/_;)

疲れるくらい労働したらええねん…とは思うけど、コリドラスひろ坊の職業は結界師!外へ出ることもままならぬ状況で、おまけに一人ぼっちやさかいに、なかなか外で日に当たる機会も少のうおますよって、肌は毎年白いまま。たまに、真夏に甥っ子を連れて泳ぎに行ったら、真っ赤になってヒリヒリして、たまりませんわぁ。

ところで最近、思いつくことがおますねん。それはやねぇ、寝ようと思うて寝られへんから、そのことばっかり気になって毎日過ごしておるうちに、よけいに不眠症っちゅうことになる。ダイエットしようと思うて痩せへんから、そればっかり考えて、ほしたらいつの間にか拒食症になる。

お酒もそうや。お酒は快楽物質やから、飲むと気分がええ。せやけど、体も大事にせなあかんと思うて、もうやめとこと心に決めても、酔うことを脳がちゃんと記憶してるから、夕方になったら、勝手に飲むのが当たり前になってて、それがコントロールでけへんようになったら、それがアルコール依存になる。むずかしいもんでんなぁ。結局、逆ばっかりいってしもうてるんや。考えすぎ? せやなぁ、ほんま、むずかしいもんですわ。

わて、見た目はかなりええ加減なことばっかりしてますけど、ほんまはものすご几帳面で潔癖症やねんでっせ。実は、なんでもきっちりせな、気がすまへん人やねん。スケジュール帳も2冊使ってる。せやけど、書く暇がないから充分活用できずに、それがもとでイライラしますねん。新聞も、読まれへんまま、ついついそのままになってたら、読んでない古新聞が山積みとなる…と、もったいないやんかぁ。古新聞もたまるけどストレスがたまる。それで十年くらい新聞はとってませんでしてん。今もとめてます。

手なんか、なんとなくネチャネチャしてたら気持ち悪いんで、一日10回くらいは石けんで洗いますねん。会計帳簿でも、1円でも狂うと、気がすめへん。もう、イライラや!

もともとそんな性分やねんけど、一人暮らしなもんで、洗濯物がたまったり、食器が洗われへんかったり、お風呂に入ることがでけへんかったりしたら、それがイライラ、イライラ。もう、ストレスの固まりや。それで、酒でも飲んで、気まぎらそ~っとなるんで、悪循環もええとこや。以前に、自分のホームページを開設してた時は、毎日更新せな、気がおさまらんかった。(今のホームページは、毎日更新せんでもええように設計されてますが)

人間、性格や性分っちゅうもんがあるんやけど、それをうまく、ええ方に向けていくようせんと、わてみたいに自己破滅しまっせ。

怒りっぽい人は、そのエネルギーを勉強や仕事に向けていったらええ。気の弱い人は、その優しさを発揮したらええねん。頑固一徹と思てる人は、それだけ信念が強い証拠や。優柔不断やったら、それだけ融通がきくと思うて大らかに生きていったらええし。なんでも、思い方、考え方しだいやね。

そう思うてる自分自身が、実際はそうなってないよって、えらそうなことは言われへんねんけど、ほんま、自分のことをよく見て、よく知ることがまず大事ですなぁ。

ほな、みなさん、ジメジメした毎日やけど、どうぞお天気で…あっ、いや、お元気で (~o~)

2008年6月 8日 (日)

凡太郎の巻

不肖、コリドラスひろ坊、今日も午前中はご先祖さまの儀式を仕え、午後から結界師というお仕事をさしてもらいましてんわぁ。いろいろと喜びごとのお礼とか、痛み苦しみごとのお願いとかありました。

まぁ、人生っちゅうもんは、いろいろあるもんでんなぁ。社会的地位を得てはる立派な人もいてはるけど、そういう人にも、他人には言えない悩みごとがありますねんでぇ~。そうかと思えば、不幸な境遇にあった人でも、本人の努力しだいで健康・家庭円満・財的安定などを得ている人もいてはります。もちろん運もありまんねやろけどね。

私がもし子どもに恵まれたら、男の子なら「凡太郎」という名前でもつけまひょか?? なんでやゆうて、別にすごい人にならんでも、平凡でもええさかいに、普通の人生を送ってほしいもんやと願うてますよって。わてみたいに、波瀾万丈の人生は、味わいさしとうないねん。…といっても、コリドラスひろ坊かて、今までの人生に不満足とは言えへんけどなぁ。しかし、なんとなく平凡ではなく山あり谷あり、時に狂ったり崩れたりの半生やったからなぁ~。

人生には、何度かポイントがやってくるもんだす。ちょうど、電車の線路のポイントですわ。そこをどっちへ行くか? これが一生チビリチビリと左右するもんだす。わて、そのうち自叙伝でも書こうかと思てますねん。書き出したら、きりないほど・・・。いやいや、書かれへんこともぎょうさんありますねんけど…。それはナイショでっせ。メールででも、直接聞いてください。コメントしてくれはったら、お伝えしたり、お話したりしますよって(そのコメントには、非公開と明記してちょうだい!)

さてと、今はまだ完璧な頭に戻ってへんような気がしますねんけど、また書きますよって、読んどくれやす。ほな、また (^^)/~~~

2008年6月 2日 (月)

「ごめんやす」の巻

みなさん、すんません(^_^;)

4月2日から、書き込みしておりませんねん。ごめんなさい。

ちょっと体調を崩しまして、現在療養中の身でんねん。加療・安静に専念するため(ええ加減な言い訳やんか…)更新せずにおります。ほんま、すんまへんなぁ。

でも、もうかれこれ二ヶ月を経過し、ほな、ぼちぼち再開しようと画策しておりますよって、長い目で見守ってやって下さいやす。

ほしたら、今日はこのへんで。WCRPでもご活躍の常磐台教会・三宅美智雄先生、コメント、おおきにです。大阪のI教会の執行・三宅善信先生とは学院同期で、懇意にご指導いただいております。ほなまた(^_^)/~

2008年4月 2日 (水)

100か0か の巻

先日、ある方とお話しました時に、「結局は、100か0ですよ」と言われました。内容を書き込むことができませんので、なんのことうやらわからんでしょうけど・・・。

しかし私は、100か!0か!というような極端な考え方は、どうもなじめません。「なんとなく…」とか「ほどほどに…」というような、なんでも中庸がいいと常に思っております。

「なんとなく…」「ほどほどに…」 これって、中途半端のようですが、そこがいいんです。人間は、しょせん神さんではないんやから、100できる人なんていてません。逆に、死んでしまわない限り、0なんてこともないんですわ。なんでもほどほど、考え方も、なんとなく、というのが、中途半端なようで、しかしそこに無限の可能性があり、完璧に昇りつめることも、完璧に落ちることもないんですよ。

100を目指す必要もありませんよ! そして、0を考えることもありません!

さぁ、ほどほどにいきましょうよ。そして、なんとなく頑張り、なんとなく力をぬいていきましょう。その方が、以外と力を発揮できるというものですよね。ご無理なきようにね。

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