このところ、本来中心となるべき当方のホームページはあまり更新せず、もっぱらこちらのブログにカキコしているコリドラスひろ坊でおます。ホームページもなんとかせな、あかんねんけどなぁ。トップベージはもちろん、大幅なリニューアルをすることになっていた矢先、わて自身がダウンしてしもうて、結局そのままでんねん。ひょっとしたら、このブログも別のサイトに移行するかもしれませんし、ホームページの中にブログを入れるかもしれへん。せやさかい、その時はちゃんとお知らせします。まだ、確定はしてへんねんけど…。ホームページのリニューアルは、約束ずみなんで、ほぼ間違いなくしまっせ。
それにしても、人生とは、はかないもんですなぁ。運命とは、無常ですなぁ。
昨日、ある知人の奥さんが亡くなりはりました。その前々日の朝、高熱が出て、持病のぜんそく発作をおこしはって、そのまま心肺停止。あわてて家族が心臓マッサージしたり口から息を吹き込みはったんやけど、あかん。それで救急車を呼んで、救急救命処置をしてもらいはってんけど、それでもあかんかった。どうにもならず、そのまま病院のICU(集中治療室)に入りはった。強心剤の投与や、治療機器で延命処置をしはったんやけど、遂に昨日のお昼過ぎに旅立ちはりました。
ついさっき、お通夜が仏式で営まれ、参列会葬してきました。明日の告別式の時間帯は、静養先へ戻らなあかんかもしれへんのでね。お焼香させてもろうて、お顔を拝ましてもろうた。ほんまに、きれいな顔してはりました。今にも、目を開けて、むっくり起き上がってきはるような感じやった。商売してはって、お店で元気に明るい笑顔で接客してはった、その時のままやった。ただ違うのは、目をつむったままやということだけですわ。わてかて、他人事のようには思われへん。残念というか、くやしいというか、なんか嘘のような、今でも信じられへんねんけど。せやけど、事実は事実や。受けとめな、しゃあーない。人の人生っちゅうもんは、先はわからんもんやなぁと思いましたわ。
ただ、わてが心も落ち着いたことは、その人は精一杯、自分の寿命を生きぬきはったということ。ほいで、苦しむことなく、この世を去りはったこと。お顔を見てて、きっと悔いも残ったはれへんなぁ、と思いました。北海道から縁あって大阪へ来て嫁ぎ、子育て、商売で店のきりもり、孫のかわいさも知ってね。そら商売かて、えらい繁盛して、卸売り市場でのお店だけやなく、一流デパートへも出店して、それも旦那さんの力だけやない。奥さんも商売人で、商いも上手やったですわ。客を逃がせへん人で、店の前を通ったら、なんとなく立ち寄って、商品でも見ていこか、と思わせるもんをなんかもったはったよってにね。神徳とか人徳とかいうけど、この人は商徳のある人やったですわ。
お通夜の後に、旦那さんと棺の前で涙を流しおうて、手を握って泣きました。急死やったからね。お互い、夢見てるみたいな感じしました。なんぼその家の宗旨が仏教とはいえ、わては金光教の神さんに頼んで、みたまさんの助かりと、残りはった遺族のみなさんの立ち行きを祈るだけや。それしか、でけへん。せやけど、それが大事やと思うてます。
しかし今回も思ったことは、いくら医療が進歩しても、たとえ強力な薬剤や医療機器によって延命治療したとしても、必ず人生の終焉がやってくるということ。時々、「脳死状態やから、機械をはずしましょうか」とか、「植物人間でどうにもならんから、延命治療を断ち切りましょうか」とかドクターから言われて、結界師のわてに「どうしましょうか?」と、ご相談がありますねんけど、いつもわては言いますねん。
「脳死状態やの、延命治療がどうの、たとえこのまま植物人間やからとどうのこうの宣告されても、その高度医療で百歳でも二百歳でも生きられますか? ご本人が骨髄バンク、アイバンク、腎バンクなんかに登録して、ご本人が臓器移植を希望してはって、今の状態がそれに対応するんなら、その意志を尊重してあげたらええけど、そうでないのなら、生き続けるまで生かしてあげてくださいな。なんでやいうて、そら神さんが与えてくれはった命やし、今がどんな状態でも生きてはんねやったら、神さんのご支配・ご配慮くださる寿命いっぱいまで、そのままにしてあげてほしい。それであかんかったら、それが寿命やさかいに…」と言いますねん。看護・介護・費用・病院の都合もあるやろから、強制はしませんけど、できるだけそのように言うてます。神さんの領域に、人間が介入することは、避けたいと思う。
死刑かて、単なる見せしめなら、やめたほうがええ。ただ、日本には終身刑がないよって、今の憲法ではどうしようもないけどね。終身刑を認めてほしいと思うてます。
かつて、大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件で、じきに死刑判決が出て、えらい早うに執行されはった故Tさまのように、自ら早く死刑をと望んではったら別やけど、裁判かて人間がさばくもんや。間違いもあるかもしれへん。えん罪もありうる。被害者は弁護に一生懸命やし、検察は厳しい処罰ばかり求める。それで結局、人間が人間の命を奪い取ることは、どうもおかしいんとちゃうかと思うてます。そら被害者や家族、その関係者の気持ちもわかります。わてかて、死刑廃止論者てな、大袈裟なもんではおませんけど、どうも近年、いろいろなところで、神さんの領域に人間が立ち入っていることが多くなってきてるように思いますねん。
まぁ、人生論、運命論、死生観、哲学的論点、宗教的視点・・・いろいろ難しいところがおますけど、わて自身は、こんな風に思てます。
そういうことで、話が長うなりましたが、わてかて明日の命の保障はおまへん。どなたさまかて、同じでっせ。今晩、布団の上で眠っても、明日の朝、目が覚めるかどうか、それもわかれへん。せやから、今月今日、今の今を大切にせな、あかんねん。
わては、投げやりっちゅう意味やのうて、いつ死んでもかまへんと、いつも思うてますし、死ぬこともなんら怖いことはおまへん。なんべんも死にかけたし、いろんなことに追い込まれて、呆然自失、お先真っ暗、孤独感、厭世感、そしてついに極度のうつ状態で自殺未遂もした。けど、死なれへんかった。考えたら、これこそ、えらい神さんにご無礼したと猛省してます。神さんの領域に、自分自身がはまってしもうたんやから…なんぼ心神喪失状態やったとはいえね。人間って、弱いもんやと思うた。神さんを、信心を忘れてしもうてた。あの時のことかて、ええ経験したと思うし、自殺願望の人の気持ちも今はわかるし、それがどれほど間違ったことかということもわかった。神さんは、無駄事はしはりませんわ。
さぁ、もし明日かて生きてたら、神さん中心にしてやなぁ、自分も見失うことなくにな。
自分が助かったら、神さんも安心しはるんやし、人間がおるから、神さんもおかげをくれはる対象がある。自分が難儀したら、神さんの嘆きや。ほんで、神さんに喜んでもらおうと努力するから、神さんも助かりはる。それを金光教では、神と人、「あいよかけよ」っちゅう関係やと言いますねんで。みたまさんと自分かて同じ。あらゆる者・物かて同じことでおます。
だんだん暑さも厳しくなりますけど、お互い頑張りましょうや!!わてと、このブログを読んでくれてはるあなたさまとも、「あいよかけよ」やねん。
さぁ、7月も後半に入りました。しっかり神さんのおかげ、もらいましょ!ほなまた。