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2008年9月

2008年9月25日 (木)

捨てるつもりが…の巻

少し前に、DSソフトがすっごくちっちゃいものだと書き込みましたが、実は今日、もっと驚くことがありました。

ケータイ電話、ずいぶん長い期間使っていたので、キーの反応がおかしくなりましてな。先週、機種変しましてん。その時に、今までは10年以上ソニー製のケータイでしてんけど、こんどはじめてシャープ製になったんですわ。ソニーのは、記憶媒体がメモリースティックでしてん。(実際は、メモリースティックを使ってませんでした) しかし、他社のはマイクロSDカードでおます(今は、どうやらソニー製もそうなってるみたいですが…)。機種変の時に、お店の人に勧められて、そのカードを買いました。そこには、普通のSDカードとその横に、とても小さい黒いチップが入っておりましてん。

それでや、私はてっきり大きい方のカードを携帯に挿入して使うもんやと思うてました。せやさかい、横の黒いチップは、単なる飾りか、シリアルナンバーかなんかがかいてあるだけのものやと思いまして、そのチップみないなのを捨てるつもりでしてん。

ところが、今朝になって、少し暇ができたし、使い方もわかりはじめましたんで、SDカードをケータイに入れようとしましたら、大きさが全然違いますねん。それで、捨てるつもりのちっちやなチップ、これ? ひょっとしてこれがマイクロSDカード?? まさか…と思いつつ差し込むと、ぴったりで、カードが起動し、初期化もできるやおまへんか。なんと、このちっちゃい方が、マイクロSDカードやったんですわ。

お昼の食事のあと、非常勤所属教師の女の子二人とその話をしてて、大笑いされました。そこでや、「ほんなら、なんであの大きいSDカードは、なんなの?」と聞くと、そこへマイクロSDカードを差し込んで、パソコンなどで使うという答え。あぁ、、、なるほど!

理由はよくわかりましたが、そんなこと説明書に書いてなかったんやから、捨てるつもりやった。危ない、危ない。ちっちゃいチップが本物とは???

それで、よく考えたら、こんな薄いケータイに普通のSDカードなんて入れへんわなぁ・・・と納得しました。しかし、すごい小さいものなんでっせ。ほんまに。

ケータイ屋さんも、そこまで説明してくれはりませんでしたし、取扱説明書を読むのもしんどいわてにとっては、ひとつ間違えたら、大損してたとこでおました。

いやぁ~、マイクロSDカードをご存知のお方も多いとは思いますねんけど、ほんまにちっちゃいんでっせ。1センチ四方くらいやねんからね。こんなんに1GB(ギガバイト)も記憶するんでっさかいに、信じられへん。わてが20年以上前にパソコンを使いだした頃は、外付けハードディスクが120MB(メガバイト)で、でっかくて、7万円余りもしたんですからね。こういう世界は、恐ろしいほど進化してますなぁ。わても、もっと今の時代に頭を合はせて行きていかな、あかんなぁ、と思うてます。せやけど、昔もよかったけど…。

もっと、目を肥やしまひょ、お互い。まっ、わては今、結界師ながら若い女の子(金光教教師)がご用のお手伝いにうちの教会へ来てくれてますよって、目は肥えてまっせぇ~。

あっ、これは関係なかった。けど、いつも若いこころ、若い目、若い気持ちを大切になぁ。お互い、無理せんと、がんばりまひょ。ほなまた。

2008年9月21日 (日)

踊ってる場合やない の巻

もう、あきまへん。物忘れがひどうなってしもうた・・・。歳ですやろか?

こないだも、大事な物をどこに置いたかわかりまへんねん。ショルダーバックにも入れてたから、財布を出した時に誤って落としたんかな?…とか思うて、立ち寄った先をあちこち歩き回って尋ねましたけど、結局出てきませんねん。いやぁ~、困った。ほいで、近くの交番に紛失届を出しましてんけどね。

ようなくすんですわぁ。物を…。それよりもっとひどいのが、どこに置いたのか忘れるという難儀な人間だす。うっかり置いてるんでっしゃろなぁ。せやけど、その時、絶対なんか別のことを考えてますねん。きっと!それで、物忘れがひどいっちゅうことですわ。

昔、井上陽水の歌で『♪探し物はなんですかぁ~ 見つけにくいものですかぁ~ 鞄の中も 机の中も 探したけれど見つからないのに まだまだ探す気ですかぁ~ ♯それより僕と踊りませんかぁ~ 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんかぁ~ ♭ウフッフ~』 というのがおましたけど、踊ってる場合やない。こっちはたいへんやねんからねぇ。

そこでや、頼りになるのが神さんだす。わい、物を置き忘れた時に、必ず「天地の親神さん、教祖さん、頼んます。私に見つけさせてください」と願いますねん。まさに「困った時の神だのみ」やね。

困った時、信心するものはお金や人を頼らず、まず神さんでっせ。その上で、人に頼んだり物をあてにしたりしたらええねん。もちろんお金も人も大事ですけど、先に神さんやね。ほしたら、不思議なことに、ちゃんと置いてある場所をひらめかしてくれはったり、そこへ自然と足を運ばしてくれはったりしますねん。けったいな現象やけど、ありがたいことでっせ!!

病気やいうても、金光教の教祖さまは、「祈れ、薬れ(薬)にすれば、おかげは早いが、薬れ(薬)祈れにするから、おかげはなし」ていうたはりますなぁ。つまり、神さんに祈ってから薬に頼るとおかげ(ご利益=病気の回復)は早いけど、先に医学、つまりお医者さんや薬に頼ってから祈るようでは、おかげはない、っちゅう意味でおます。大事なことでっせ、これって。

せやから、わての捜し物も、もうじっきに出てくると信じてます。信じるしか、おませんやろ~~~!

ほな、彼岸に入りました。みなさん、おたっしゃでぇ~~(^^)/~~~

2008年9月15日 (月)

コンピュータソフトよりすごい人間の脳の巻

うちの教会も、結界師の代表であるわて・教会長を含んで、教職員が6名になりました。っといっても、わて以外は全員、非常勤所属教師ですけどね。一時は4名でしたが、諸般の事情でメンバーがすっかり入れ替わり、現在は6名。

そこで、出仕状況(勤務状況)の把握がむずかしいので、電子タイムレコーダーなるものを設置して、出勤・退勤時にはタイムカードを操作してもらうようにしました。私も学生時代に、バイトでタイムカードを利用してたことがあった記憶もおますねんけど、あれってオモシロイもんですなぁ。ちゃんと出勤時間と退勤時間、そして通算勤務時間を勝手に計算して記録してくれますねん。これで、神さんからのお下がりから、お手当を頂戴する計算が楽になりそうです。

これまでは、いちいちスケジュール表にシフトを記入し、時間を記入して、月末締めで計算してましてんけど、一般にいう給与支払い明細書を書くんでも、けっこう計算と時間がかかりますし、わてはエクセルっちゅうパソコンの表計算ソフトをよう使いこなせませんよって、全部手書きでやってましてん。先月から、エクセルの練習やと思うてやってますねんけど、なかなか便利やとはわかりましたが、はかどりません。便利なソフトほど、使いこなすのがややこしい!

しかしやねぇ、こういう世界の進歩には驚くばかりです。わて、歳がいもなくDSライトをもってましてな。DSソフトで「大人の・・・」シリーズ、えいご漬け…、常識力…、脳をきたえる…、眼ぢから…・・・なんかをやってますねんけど、ソフトの箱はでかいけど、中にはちっちゃなカードしか入ってません。あんな小さいカードであれだけの内容が詰まってるんですから、驚きですなぁ。

よう考えたら、人間の脳かて、ちっちゃいもんかもしれません。体重の何分の一でっさかいに。それで、たくさんのことを記憶したり思考したりするんですから、コンピュータ以上の働きをしてくれてるんとちゃいますやろか。すごいことですなぁ。せやから、脳が死んでも、脳死やとお医者さんから言われても、それで終わりというわけではおません。

わての身近にいてはる人のお父さんが、いっぺん意識がのうなって、脳死状態で、延命の機械をつけてやっと生きてはる状態になりはりましてん。せやけど、そのまま機械で生きるところまで生かしてやってほしいと主治医に頼んだ。ほしたら、不思議に復活して意識ももどりはりましてん。それから何ヶ月かは、普通に入院生活もしはって、結局退院までしはった。そんな不思議な話は、まだおます。自転車で通学する途中、交通事故で車にはねられた信者さんが、何ヶ月か意識不明やった。一生懸命、ご家族と神さんに祈った。金光教の本部へおじいさんが参拝しはった。その日から反応がでてきて、やがて意識が戻って、ついに退院して、学校へ通えるようになった。そんなおかげ話も実際におますねんで。

人間の頭の大きさを考えたら、DSソフトの大きさ以上やさかいに、すごい神さんのお恵みをもろうてるんが事実やおまへんか。せいぜい、その脳をええ方に生かして、お役に立たせてもらいまひょほな、また。

2008年9月13日 (土)

親子関係とは の巻

えらいこっちゃ! またしばらくの間、ブログをカキコできまへんでした。

スマソ (-_-) この気まぐれさが、やっぱりサブタイトル「結界師のきまぐれなつぶやき」でんな。

まっ、それはともかく、15日は敬老の日でおますなぁ。わて、てて親はもう12年前に亡くなりましたけど、母親は81で健在でしてな、あるところに住んでて、経済的にはわてが面倒をみておるんですわ。最近、親と子の関係のことを考えさせられております。

わては姉と二人姉弟でして、義兄、つまり実姉の旦那がようしてくれはるんで、ついつい任せておりますけどね。振り返ってみれば、親と子っちゅう関係は、ありがたいもんですなぁ。ただし、お互いを尊重しつつ、お互いに大切にしあいして、その関係がうまくいくもんだす。

親は子どもを育てます。これは無条件ですな。せやさかい、時にはしつけのために親は子を叱(しか)ります。当たり前でんな。ほいで、子どもは育てられたおかげで今月今日があるんやさかい、親に尽くします。どこまでも、親孝行します。尽くされると、親は喜んで子どもを大事にしますんやね。

親が子を叱る、それに対して第三者が口出しするのはおかしいのとちゃいますか? 愛の鞭(むち)っちゅうこともおますやろ。親は子を信じてるけど、何度も何度も「大丈夫か?大丈夫か?」と念を押してたしなめる。これって、なんにもおかしいことやおませんで。

ほいで、親は子が尽くしに尽くしてくれて、ほんまの親の愛情をそそぐっちゅうもんやさかい、子は子らしく尽くして、はじめて親に喜ばれ、頼みも聞いてもらえるっちゅうもんや。

それをやねぇ、日頃は親をほったらかしにして、助けてほしい時だけ親やから…と頼る。それも、おかしいことやと思います。

「親やねんから」と、いくら子が言うても、日頃から親孝行して親に尽くして、立てて、心を配ってこそ、親は子として認めてくれるんとちゃいますやろか。

金光教の教祖さまは、「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな」という教えを残してはりますねん。これ、親子関係に置き換えたら、「親子の縁が切れたというが、親からは切らぬ。子どもから切るな」となります。わて、今年になって、親子関係の問題に直接ふれましてな、上記の親子関係の縁を切る、切らぬということを身にしみて感じたことがおました。親は、一時は怒っても、やっぱり親からはよう切りはりまへんなぁ。子はどうしようもなくても、とにかく神さんに関係修復を祈って、親のことを人一倍祈りぬいて、ほいでおかげを頂戴して、子からさえ切らんかったら、必ず親はいくつになっても子を慕ってきはりますなぁ。今年は、親子関係のええ勉強さしてもらいました。

いろいろと考えもって、やっぱり親が子を怒っても、子が親を怒ることが、どれほど道理ちがいかということもわかりました。

こういう親子関係がわからん人は、かわいそうでんな。なんぼ歳いってても、この親子関係さえ間違えなかったら、親は喜び、子は安心でっせ。

ほんなら、もういっぺん締めくくりに書きます。大事なことでっせ。へたしたら、親より子のほうが、最終的に大損しまっさかいにね。

「親子の縁が切れたというが、親は切らぬ。子から切るな」

ほなまた、画面上でお会いしまひょ(^_^)/~

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